B3-伊邪那岐の禊

 

B3-伊邪那岐の禊

筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊する
身に着けていた物を次水に投げると、次々と神が
生まれ出た
船戸神から辺津甲斐弁羅神までの十二はしらの神は
、伊邪那岐命が身に着けていたものを脱ぎ棄てたことに
よって成った神である。
生まれた神々の神名から察するにこれは航海に関連
する名前であるから 伊邪那岐の禊とは航海の準備
と見ることができる
古代船まとめより

「小門」(をど)は「小さな水門(みなと)」で
あるとも、「瀬戸」(川幅の狭い場所、または
狭い海峡)であるとも言われる

橘はミカン科の植物です。記紀の垂仁天皇の
条に、田道間守(多遅摩毛理、たぢまもり)が
常世の国から非時香菓(登岐士玖能迦玖能木實、
ときじくのかくのこのみ)を持ち帰ったという
伝承があるが、「非時香菓」は「時ならぬとき
にかぐわしい木の実」「いつまでもよい香りの
する木の実」という意味。

阿波岐原(アワギハラ)は宮崎の江田神社の近く
とされている
阿波岐原は、日本最古の歴史書「古事記」の舞
台で、祝詞の冒頭では「筑紫の日向の橘の小戸
の阿波岐原」と
唱えられている。阿波岐原の広大な松林にある
江田神社は、男神イザナキと女神イザナミを祀
っている 阿波岐原森林公園 
江田神社公式
江田神社と禊池
一ツ葉海岸の名前の由来
江戸時代の中ごろ、この浜に葉が一つしか付か
ない松の木が見つかり、人々は不思議がり
一ツ葉の松と呼んだ イザナキノミコトが禊ぎ
をした地に生えた聖なる松であるとして、一ツ葉
稲荷社を建てたと伝えられている

一ツ葉海岸に伝わる話
昔、この入り江で漁をして暮らしていた四十右衛門
(よそえもん)という若者がいた。
彼は早く嫁をもらいたいと一生懸命働いた
ある夏の日、いつものように投網をうっても
獲物が上がらず、あきらめて帰ろうとすると
背中に捕れたての魚をたくさん入れたカゴを
背負った美しい娘に出会いました
あまりの美しさに四十右衛門が見とれていると、
娘はにっこりと会釈して通り過ぎた

翌日も魚が捕れず帰ろうとしたとき、
また昨日の娘に会った「あんたはどこでこんなに
漁があったのか」
と訪ねると、娘は「三本松の所だ」と言い、
「観音経を唱えながら網を入れなさい」と教えて
くれた
四十右衛門は家に帰ると一晩中唱え続けて
暗唱し、朝一番に入り江で観音経を唱えながら
網を打つと、手応えがありました。網を上げると
一体の観音像がかかっていたので彼は驚き、
その観音像を正光寺(宮崎市吉村町)に預けた
帰えりに寺の山門を出ようとすると、あの娘が
立っていて「私は豊後の国東から来た 
よい婿が見つかるように観音様に願をかけたら、
日向の四十右衛門を訪ねよ、とお告げが
あった」と言う 四十右衛門は驚きながら
もこの娘と結婚し、観音様をあがめた毎日豊漁が
続き、嫁が町に売りに行けば飛ぶように売れ、
四十右衛門は村一番の金持ちになったという

これとよく似ているのが
浅草浅草寺由来
宮戸川(今の隅田川)のほとりに住む檜前浜成
・竹成兄弟が漁をしている最中、投網の中に
一躰の像を発見した。場所を変えて何度か網を
打った。尊像が網にかかるばかりで、魚は捕れ
なかったので兄弟はこの尊像を持ち帰えった
土地の長に見てもらうと、聖観世音菩薩の尊像
であるとわかったので里の童子たちが草でつく
ったお堂に、観音さまをお祀りした 
やがて私宅を寺に改め、観音さまの礼拝供養に
生涯を捧げた。浅草寺に伝わる縁起には、観音さ
ま示現の日、一夜にして辺りに千株ほどの松が
生じ、3日を過ぎると天から金の鱗をもつ龍が松
林の中にくだったと記されている。この瑞祥が、
山号「金龍山」の由来となった。

以上二例を見てみると観音様が魚と関係してい
る事である もう一点は松葉の形状である
上が浅草寺観音様の松原の松葉 下が一ッ葉海
岸の松葉 伊邪那岐が一人で神々を産んだとして
男性を象徴 上は観音様なので女性を象徴
イクテュスはギリシャ語で「魚」という意味を持つが、
同時にΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ 
(ギリシャ語でイエス、キリスト、神の子、救世主)の
頭文字を並べたものでもある。
ΙΧΘΥΣが得られる。これは〈魚〉のことである
この語によって秘教的な意味でキリストが解される
キリストは、いわば海の深処とでもいうべき
この可死性という深淵の中で、生きて、
すなわち罪なくして、存在されたからである」
〈イクテュス〉とはキリスト自身であるとともに、
またキリストの神秘それ自体を意味する象徴でも
あるというのだ。現に初期キリスト教においては、
〈イクテュス〉のシンボルは十字架や生命の樹とと
もにキリストを表す象徴として、また迫害下に
おいて信者同士が互いを識別する符号としても
用いられた
分析心理学者C・G・ユングは『変容の象徴』
において実に興味深いことを述べている
「アスタルテ、キュベレーなどと同一視されている
アタルガティスの息子はイクテュスという名前
だった」

 ここで言及される「アタルガティス」とは豊饒を司る
古代シリアの大女神で、地母神としての性格が
強いが、同時にまた魚との結びつきも深く、しばしば
魚の下半身を持つ姿で表される。しかもその息子は
「イクテュス」という名前であるというのだ。この
ことは魚が、大地母神の時代、すなわちキリスト教誕
生よりも遙か以前の太古から生命の豊饒の象徴として
用いられてきたことを示している。
 深層心理学的解釈によれば、魚の住処である「水」は
無意識の象徴である。無意識の住人である魚が、人格の
深層にある内実、生命を生み出す内なる母と結びついた
のも当然といえよう。その古の象徴を、キリスト教は
自らのものとして取り込んだ。そのことは、あるいは
うお座の時代の宗教
キリスト教が過去2000年にわたる「魚座の時代」の宗教
であったことと関係しているのかもしれない。

web論考の著者はコご祭神の案内板が撮影禁止とい
う事で手書きになされています
天照大御神 月読尊
伊弉諾尊 伊弉冉尊
級長津彦命 級長戸辺命
豊受大御神 倭姫命
瀬織津姫
ここで縄文の女神であり水の女神である瀬尾律
姫が重要な役割を演じる
瀬織津姫が南方系の女神であることは
禊池と水連
伊弉諾尊が一人で神々を産んだことになってる
が神社の祭神では伊邪那美の女神も祭られている
伊邪那岐は黄泉の国にいるはず すると身代わり
になっているのは瀬織津姫である 伊邪那美=瀬織
津姫である 
この禊池淡水であるそうだ それはスイレンが
咲いていることからも解る 瀬織津姫も淡水の女
神である 阿波岐原を泡立てながら腹を見せて産
卵する淡水魚と解釈したい 通常淡水魚鯉やフナ
は5月頃「乗っ込み」という浅瀬に近づいて産卵
する時期を迎える 雌の産卵に合わせ雄は射精して
受精卵とする それを形容したのが伊邪那岐 伊
邪那美=瀬織津姫であったと思う すると伊邪那美
も縄文の女神ということになる

参考文献「古事記・現代語訳と注釈」web論考




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